共同ブログ、就活の記事のあとがき。
あそこに書いたことは、ボストンでの3日間、ジョージタウンに来てからの2ヶ月間、さらには留学をすることを決断してからの1年強、悩んだり考えたりしてたことへの最終的な決着点のようなものだった。
つまり、本当に話したいこと、書きたいことのほんの一部でしかないということ。
それこそ、氷山の一角。
水面の上に白く突き出た部分。
水面下には、もっと奇妙な複雑な形をしたものが尖って、削れて、残ってる。
たとえばね。
やりたい仕事はわかってるけど、それが自分に向いてる仕事だとは思えないこととか。
わたし、将来ぜったい専業主婦にはなりたくないと思ってる。
ぜったい自分のキャリアを持って、社会でばりばり働きたい、って。
なんでかって言われたら、特にご立派な理由はないんだけど、働くのっておもしろそうって漠然と思って育ったからだと思う。
でも、それと矛盾するように、自分は甘んじて専業主婦になるだけの甘さもあると思う。
あー自分の好きなことを家でできるならいっかー、旦那さんと幸せに生活できるなら、別に仕事なんかする必要ないかー大変だし、って。
家でゆっくりなにもしない時間が好きだったりするので、家事をやる以外、自由な時間が多い印象の専業主婦を魅力的に感じるポテンシャルも、わたしは兼ね備えてる。
それに対して、実際就きたいと思ってる仕事である記者職とかは、仕事としてもう絶対これがいい!って思い続けて長い職業だけど、そのライフスタイルはまるっきり自分には向いてないものだと思う。
なぜって、記者職はものすごい忙しくて、社畜とか言われるエリートキャリアとはまた違う忙しさの、ハードさのある仕事だと思う。
今思ってる以上にはるかにタフな人間にならないと、できない仕事だろうな、と。
そして、それ以上に、本当にそんな生活がしたいの?って思うと、ものすごく疑問であったりもする。
それが自分の限界を見てるようで、いつも苦しい。
何度も言うけど、就職はライフスタイルを選ぶことだと思うんですよ。
どういう生活をこれから5年、10年、20年、と送っていきたいですか、という問い。
わたしは報道・出版・編集・PR・広告、あとは、ちょっと政治機関とかその辺に行きたい訳だけど、それらの仕事にくっついてくるライフスタイルも考慮に入れた上で、仕事選びしなきゃ、って。
そうすると、本当に自分が就きたい仕事ってのはもっとはるかに曖昧になってくる。
でも、やりたい仕事でないと仕事として続かないのも確かなの。
だから困ってる。
そこで、だからわたしは自分がその仕事独特のライフスタイルに合う人間に、今から生まれ変わればいいんだ、って結論になった。これは前から何回も何回もぐるりと回っては帰ってくる結論。
自分が変わればいいんじゃん、って。
わたしはのんびりした人間だから、わたしはめんどくさがりな人間だから、って、自分の性質を所与のもののように受け取って、わたしは考えがちなんだなって。
自分のなりたい人間になるのに、今からでは遅い、ということは決してないでしょう、と、いつも自分に言い聞かせようとしてる。そして、自信が常にそのキーとなるわけなのです。
だから、せっかく一年間の交換留学という形で、時間をもらってるのだから、その間は、やっぱり人間性を熟成させることにした。自分のやりたいことはなんだろう、を考えつづけるのとともに、ある一定のベクトルに向かって、自分の人間性を形作っていく時期だと思った。
それに、ボスキャリはやっぱり自分の視野を広げてくれたと思う。もしかしたら、来年とか一生懸命勉強してるかもしれない。
今わたしに必要なのは、時間の使い方を向上させてシステム化することと、あとは積極性。
攻めの姿勢でぐいぐいいくこと。
そのために必要なのは、自信をつけることと、変なプライドを捨てること。
そっからまずは始める。
今からでは遅いと思いがちだったけど、今からでは遅いなんてことはない、たぶん。
こうやって、就活することにした。
面接対策とか、ES書き方講座とかは、とりあえず帰国するまでは、来年の夏前まではまだ目を通すくらいで別にいいや、って。
そういう建設の方法ではなくて、内側から組み立てることにする。
これは、全く持って現実逃避じゃないし、たぶんわたしにとっては一番苦しい形の修行になるんじゃないかな、って思ってる。たぶん。わかんないけど。
以上でした。
これでもまだ水面下の上の方だけ、まだ日の光があたるところまで。
それより深いところの葛藤は、自分にも見えてないんじゃないかと思う。
文章にできないというか。
がんばる。なりたい人間になる。
October 22, 2012
October 12, 2012
QUIĒS
記録。
今日のお昼ご飯は、たらこパスタ。
日本から持ってきたたらこソースを使っての、たらこパスタ。
持ってきた分がもうすぐなくなりそうだと思ってた所に、お母さんがまた何個か送ってくれた。感謝。
そしてついこないだ我が家にはざるがあるということに気がついたので、ちゃんとパスタの水を切れるようになった。
それまではフォークを使ってがんばるものの、あんまりうまくいってなかったから、うれしい。
今朝は、授業をさぼった。ジャーナリズムの授業。
Journalism is about showing up and showing up on timeと言って、遅刻にも厳しい先生。
ジョージタウンでの一番のお気に入りの授業。
なのに行かなかった。なぜ。
昨日夜更かしして、Meet Joe Blackを見てたせいもあると思う。
あの映画はブラッド・ピットのかわいい少年セクシーっぷりを楽しむ映画であって、それ以外は特にいいと思わなかった。
ヒロインはでっかい目をうるうるさせてるだけだったし、ハンニバルのおじさんもいい人なだけだった。
つまんない。
昨日はアメリカ副大統領候補の公開討論だった。
ジョー・バイデンが白い歯を見せて、ポール・ライアンの言ったことすべてを笑い飛ばすっていうだけの1時間半だった。
バイデンがあまりに可笑しそうに笑うので、酔ってんのかなあーとか思ったけど、同時にライアンはただの若造の阿呆に見えた。
プラトンじゃないけど、ディベートって本当に真実とは全く関係ない所で行われるんだなと思った。
真実がなんだってことは半分くらいしか意味がなくて、残りは真実らしき物をどれだけ真実らしく伝えられるか、あとはどれだけ白い歯をきれいに保てるかっていうそれくらいのもんなのだと。
それにしても、アメリカの政治はエンターテイメント性が強い。
本当に見てておもしろい。
どきどき、わくわくすることに欠けている気がするのはどうしてだろう。
日常の惰性を打ち破りたい。
惰性で一年を消費したくない。
そうやって、あちこちに連絡をとるけど、どこもいまいち手応えがない。
それか、そのがっかりが鬱々と沈んだ気持ちにさせてるのか。
なんか、口を開けたくない、ひととしゃべりたくない、そんな静けさ。
そして自分の静寂を、自分で破れないっていう。
今日この後ディスカッションの授業なんか絶対行きたくない。
けど行かなきゃ。行かなきゃ・・・・・・・
時々襲われるこの静けさはなんなんでしょう。
心電図のあのつーーーーーーーーーーーーーーーーーって音みたい。
静か。静か。
今日のお昼ご飯は、たらこパスタ。
日本から持ってきたたらこソースを使っての、たらこパスタ。
持ってきた分がもうすぐなくなりそうだと思ってた所に、お母さんがまた何個か送ってくれた。感謝。
そしてついこないだ我が家にはざるがあるということに気がついたので、ちゃんとパスタの水を切れるようになった。
それまではフォークを使ってがんばるものの、あんまりうまくいってなかったから、うれしい。
今朝は、授業をさぼった。ジャーナリズムの授業。
Journalism is about showing up and showing up on timeと言って、遅刻にも厳しい先生。
ジョージタウンでの一番のお気に入りの授業。
なのに行かなかった。なぜ。
昨日夜更かしして、Meet Joe Blackを見てたせいもあると思う。
あの映画はブラッド・ピットのかわいい少年セクシーっぷりを楽しむ映画であって、それ以外は特にいいと思わなかった。
ヒロインはでっかい目をうるうるさせてるだけだったし、ハンニバルのおじさんもいい人なだけだった。
つまんない。
昨日はアメリカ副大統領候補の公開討論だった。
ジョー・バイデンが白い歯を見せて、ポール・ライアンの言ったことすべてを笑い飛ばすっていうだけの1時間半だった。
バイデンがあまりに可笑しそうに笑うので、酔ってんのかなあーとか思ったけど、同時にライアンはただの若造の阿呆に見えた。
プラトンじゃないけど、ディベートって本当に真実とは全く関係ない所で行われるんだなと思った。
真実がなんだってことは半分くらいしか意味がなくて、残りは真実らしき物をどれだけ真実らしく伝えられるか、あとはどれだけ白い歯をきれいに保てるかっていうそれくらいのもんなのだと。
それにしても、アメリカの政治はエンターテイメント性が強い。
本当に見てておもしろい。
どきどき、わくわくすることに欠けている気がするのはどうしてだろう。
日常の惰性を打ち破りたい。
惰性で一年を消費したくない。
そうやって、あちこちに連絡をとるけど、どこもいまいち手応えがない。
それか、そのがっかりが鬱々と沈んだ気持ちにさせてるのか。
なんか、口を開けたくない、ひととしゃべりたくない、そんな静けさ。
そして自分の静寂を、自分で破れないっていう。
今日この後ディスカッションの授業なんか絶対行きたくない。
けど行かなきゃ。行かなきゃ・・・・・・・
時々襲われるこの静けさはなんなんでしょう。
心電図のあのつーーーーーーーーーーーーーーーーーって音みたい。
静か。静か。
October 8, 2012
COLD
今日はとっても寒かった。
昼間はあたたかいのに、夜になると急に冷え込むっていう妙な天気がしばらく続いてたんだけど、今日は昼間からずっと寒かった。たぶん。部屋にいたからあまりよくわからなかったけど、すごくねむかったから、たぶんすごく寒かったのだと思う。夜になって外に出てみたら、やっぱりとても寒かった。
昼間はげろ吐きまくったり、ぼろぼろのくじゃくを階段から投げたり、真っ白いもこもこのにわとりたちにマンションを占領されたりする夢見た。悪い夢ってわけじゃないの。でも強烈な夢だったから、起きれなかった。夢の中身によって起きれないことってある?わたしはよくあるの。今日の夢はまだ起きれる方の夢だったけど、今日は起きれなかった。
来週は中間テスト。
高志が風邪を引いたらしい。39度近い熱が出て、蓄膿症の症状も出たらしい。らしい。らしい。13時間も時差があると、「らしい」の連続になる、らしい。
一年生のときか二年生のときか忘れたけど、高志が初めて蓄膿症になったとき、そのときはもちろん時差は一時間もなかったのだけど、それでも「らしい」が三つくらい重なって、すごく遠くてなにもできなかったのを思い出した。その割には、わたしの大事な恩人が亡くなって(しかもその朝わたしは大学入学したてで初めてはめ外しかけて、酔っぱらってた朝だった)、わたしは本当に無能で、これでもかってくらい無力だ、って沈み込んでいたとき、そのことについて誰にも話さなかったのに、(だから「らしい」でつながるはずもなかったのに)なぜか、偶然、その日のうちに電話をくれたのだった、ということも思い出した。それまでずっと話してなかったのに。
こういう偶然の繰り返しのせいで、色んなことを勘違いしてしまったのだと思う。
偶然性を信じるのをやめたのも、遥か昔のこと。
ねむるとまた変な夢を見ると思う。毎晩、毎晩、夢を見る。本当に。毎晩。でもいくら変でも夢はきらいじゃない。後味の悪い夢を見ることも多いけど、それでもきらいじゃない。夢がすごくきらいなときもあった、むかし。毎晩、毎晩、夢を見て、このまま現実と夢の境目が分からなくなって、気が狂ってしまうんじゃないかと思ってた。変なのは、そのときはすごくいい夢ばかりをみていたこと。毎日、本当に起きれなかったこと。
こんな風に起きてはねむって、起きてはねむって、くるくる、くるくる、地球は回って、このまま、この心のまま、一生を過ごすことになったらどうしようって本当にこわいときもある。夢を見られなかったときの、目が覚めるときの気持ちを思い出す。だからね、野菜を食べて、水分摂って、暖かくしてねむってほしい。なんでこんなに悲しいんだろう、そんなことばかり考えて、そうやって自分のしあわせを思い出して、それから、わたしもようやく寝るの。だから、寝て、おやすみなさい。
September 30, 2012
HOMECOMING
およそ二ヶ月前に書いた記事がDEPARTURE(出発)。
そして今日の記事がHOMECOMING。ジョージタウンの卒業生が大学に帰ってきて、でっかい同窓会を開くっていう日。この二つのタイトルが並んだらなんだかとっても意味深というか、詩的というか、とにかく二ヶ月さぼってたブログを再開するにはちょうどいいなって思った訳なんです。お久しぶりです。
二ヶ月は長かったのか、短かったのか、すでに宿題を放棄するだけの余裕は出てきている気がするので、ジョージタウンにはなじんできたと思う。がんばって全部やらなきゃ!っていう当初のやる気はどこへやら、うまく戦略的にこなすことが大事なのよ!ってがんばって宿題してる学生たちに布教してまわってるくらいの不真面目さ。毎日ねむくて、授業が始まる1時間前まで寝てても余裕で間に合う毎日がしあわせです。
友達もたくさんできました。昼間はまじめなアジア人の女の子たちと勉強して、夜はお気楽なフランス人たちに遊びに連れ出してもらうっていうのが定番!
日本ではぜったい行かないようなパーティーに行ったりして、踊ってみたりして、アメリカナイズされてる自分を感じたり、感じなかったり。交換留学生のグループは本当にみんな賢くて面白くて楽しいことが大好きで、一緒にいて楽しい。ローナも言ってたけど、今年の交換留学生のグループはすごいいいメンバーだと思う!楽しい、楽しい、それにみんなかわいい!
ただこないだふと料理しながら思ったのが、留学って自分の生活の軸を全く別の場所に移すことじゃないのかってこと。物理的に普段の生活から自分だけちぎりとられて違う所に放り投げられたら、そこで新たに根を張って自分の軸を立て直すことなんじゃないのかな、って思った。自分の軸として当たり前だと思ってることが当たり前じゃないんだってことを肌で感じて、なにを軸とするのか自ら選択できるようになる/選択しなければならないことが留学の醍醐味っていうのかな、って。
そうだとしたら、わたしはまだ留学の醍醐味を享受できてないのかもしれないと思った。まだ自分の築き上げてきた世界観にしがみついてる。それがどこでわかるかって、まずは自分が思ってたよりも自分が日本人だっていうことを意識しちゃう、口に出しちゃうところ。「日本ではね、」とか「日本人はみんなね、」とか過剰に一般化して日本を代表しようとしたり、人が日本についてちょっとでもなんか言ったりしたときに感情的に反応したりしちゃう。自分でも、こんだけ個人的な感情で日本を語ろうとしてることにびっくりしてる。自分の軸はまだ日本においてきたまんまなんだと(そもそも自分は日本にこれだけ根を張ってたんだって驚きを)感じる。今は距離を置くチャンスなはずなのに。
まだ観光客状態、自分の世界から一瞬出てきただけで、ジョージタウンはわたしの日常じゃないと思ってるのかもしれない。てかたぶんそうだと思う。この世界を自分の世界として理解しない限り、わたしは一年間お金の無駄遣いだけして家に帰ることになりそう、心配。ジョージタウンは決して安い大学じゃないのに!
でも、さ、本当に美しいでしょ、ジョージタウンのキャンパス。
芝生で勉強して、結局日向で寝るっていう癖はなおらないと思う。
今日一日、ホームカミングのイベントを見て、わたしもいつかここにこの日に、ここの学生として帰ってきてもいいのかな、って思った。たぶんだめかなとか思って、まだまだ仮暮らしのアリエッティな気分。明日はちゃんと勉強するよ、ジョージタウンの学生らしく。
September 29, 2012
September 27, 2012
September 25, 2012
FAHRENHEIT 9/11
George Orwell once wrote that,
"It's not a matter of whether the war is not real, or if it is, Victory is not possible. The war is not meant to be won, it is meant to be continuous. Hierarchical society is only possible on the basis of poverty and ignorance. This new version is the past and no different past can ever have existed. In principle the war effort is always planned to keep society on the brink of starvation. The war is waged by the ruling group against its own subjects and its object is not the victory over either Eurasia or East Asia but to keep the very structure of society intact."
- Film "Fahrenheit 9/11" (2004)
August 17, 2012
DEPARTURE
この前のおとなと子供の話。
ピーターパンがいつ剣を振り回すのをやめて、空も飛べなくなるのかって話。
そのつづき。
留学出発の前々日に、大学の友人たちに送別パーティーを開いてもらった夜の帰り道、それぞれがそれぞれの家に帰るために次々と去っていったとき、何回もハグしたり、手を振ったり、また来年!と言ったりした訳だけど、一番最後に武蔵境の駅でひとりになったとき、自分がなににお別れをしているのかよくわからなくなった。本当に一年ばかり会えなくなるだけのお別れなのか、これは...?と疑問に思わずにはいられなかった。
一年なんてあっという間だよ!ってみんなは言うけど、一年後にわたしが帰ってきたとき、みんなはまだこのままでここにいるの?って。
わたしが来年の5月か6月に日本に帰ってくる頃には、その日その場にいた10人ちょっとの内、おそらく半分近くは就職先が決まり、卒業に必要な単位も取り終え、サークルや部活からも引退してる。未だに身分としては学生でありながらも、社会人になるまでに許された最後のモラトリアムの時間を毎日毎日食いつぶして、すでに余韻となってしまった学生生活のなかを行き来してる自分たちが目に浮かぶ。
わたしがお別れしてるのは、日本での学生生活そのものではないのか。
帰ってくる頃には、もうとっくにみんなおとなになってるんじゃないの。
そんな予感がして、色んなものを振り切るように、胸の前で腕を組んで、歩幅を大きく、ぐいぐいと前に進んだ。早く、早く。強く。
武蔵境で泣きながら歩いたのは、これで何回目のことだろう。
何回も言うけど、いつまでも子供でいたいわけじゃなくてね、おとなになるならなったで、すっきり大人になりたいって思ってたんだけど、いざ、もうその時が限りなく近いと思ったら、やっぱり寂しくて、この先に何が待ってるのか全く検討がつかないときに感じる、曲がり角への不安と新しい生活への清々しさとで、ぐちゃぐちゃになった。
それでもやっぱり、誇らしかった。ごめんね、ティンク、ピーターパン。
出国当日は、本当に慌ただしかった。
飛行機が出るのが夜9時だったのをいいことに、パッキングは(当然のごとく)当日のお昼まで終わらず、色々買い足すために家を出る30分前にスーパーへ走り、渋滞に巻き込まれて日暮里から乗るつもりだったスカイライナーにも遅れそうになった。かなり高度な内容の授業についてかなきゃいけないのに全然勉強してないし、ニュースも読んでないし、英語の準備もしてないし、税関もちゃんと通れるかわかんないし、不安で急に手先が冷たくなった。
それでも日暮里まではお母さんと弟が車で、出国ゲートまではキムラが、税関の向こう側へはこうじが来てくれた。
なんか、センチメンタルになって損した。
まだまだ寂しくなんかなれない、なんとも幸せ者なわたしでした。
では、行ってきます。
August 6, 2012
JULY 22nd FOR THE 21st TIME
21 YEARS CAN TAKE YOU PRETTY FAR.
IT LETS YOU MEET SO MANY PEOPLE,
SO MANY IT FILLS YOUR HEART
WITH SOMETHING WARM AND SOMETHING BLUE.
SO THANKS.
THANKS FOR THE 21YEARS
AND THE MORE TO COME.
July 21, 2012
RESERVOIR DOGS
res·er·voir
n.
1. A natural or artificial pond or lake used for the storage and regulation of water.
2. A receptacle or chamber for storing a fluid.
3. An underground accumulation of petroleum or natural gas.
4. Anatomy See cisterna.
5. A large or extra supply; a reserve: a reservoir of good will.
6. Medicine An organism or a population that directly or indirectly transmits a pathogen while being virtually immune to its effects.
- Film "Reservoir Dogs" (1992)
July 17, 2012
THE HAVE NOT
民主主義の話。
わたしの尊敬する先輩のひとりに、今年新卒生として会社に就職した人がいる。
その人がツイッターでつぶやいていた一連のツイートを見て、すごく落ち込んだ朝があった。
というのも。
その頃は、芸人の河本さんのお母さんが生活保護を受けていたことがスクープされたことを派生に、生活保護問題がすごくホットになっていたときだった。その先輩も一連のニュースを見て思うことがたくさんあったらしく、たくさんつぶやいてた。
彼はすごく怒ってた。
生活保護の制度を悪用している人に対して、働きもしないでお金を得ようとしてる人に対して、すごく、すごく怒ってた。彼自身社会人一年目で、仕事はハードで休みもない、給料も高いとは言えない金額らしく、そうやって不正をして楽をしようという根性が許せなかったんだと思う。ただ、その後彼は、生活保護受給者と障がい者を同じくくりの中に入れて議論を続けた。
電車の中で障がい者手帳を突きつけて、サラリーマンに席を譲らせる障がい者を見たときに、どれだけ傲慢だと思ったかというエピソードから入り、次のように続けた。
ー他人様の税金や善意で飯を食いながら感謝せず、働きもせず、勉強もせず、希望も無く、文句や足を引っ張ることだけは一丁前。いい加減にして欲しいですね。
ー「社会のため」「人のため」って言った時に、自分は果たしてそういう人達も「社会」や「人」の中に含められるのか?正直、厳しい。実際に相対すると無理。
ーきっと自分は純粋過ぎるんです。正義感が強過ぎるんです。だから世の中の当たり前のように存在する矛盾とかに目を瞑れず、怒り落ち込み、不満を感じるんです(笑)
朝の電車でこれを見たときはすごくびっくりした。
絶句に違い衝撃だった。
それから反論しようと思って、140字のツイートの中に色んな思いを込めようとした。
そもそも生活保護を不正に受給してる人と障がい者は、全くちがう性質をもっていること。
生活保護が必要で受給している受給者と障がい者とを仮に同じ枠組みに入れたとしても、彼らは働かないのではなく、働けない場合がほとんどだということ。
彼らが働けない現状を作り、彼らから職を奪っているのは健常者であったり、高等教育をすませていたりするわたしたちであるということ。
働くこと自体、立派な権利だということ。
働く機会を奪っているのがわたしたちであれば、わたしたちには彼らに生活を与えなければならない義務が生じてもいいのではないかということ。
朝の電車で泣きたくなるくらい悔しくなったけど、あなたのことは本当に尊敬していて、気分を害するつもりは一切ないのだということ。
これら全部を言葉にしようと試みたけど、その人に真っ直ぐ受け取ってもらえる気がしなくて、あきらめた。
というよりか、彼にとって彼の職場で毎日毎日働くことは苦痛であり、重荷であり、 彼もまた自らの生活をどうにかうまくこなしていこうと汗のにじむ努力を続けている人だということを知ってたから、やめた。
彼自身が苦しんでいるだけだということがなんとなくわかったから、反論する必要性を途中で見失った。
ー政治世界では、俳優ならざる観客はありえない。
これは丸山眞男の言葉。
民主主義的なシステムの中においては、すべての人に責任がある。
社会で起きてる不平等に対して、無責任でいられる人なんて一人もいない。
生活保護受給者が生活に困ってしまうのも、障がい者が自分で生計を立てられないのも、巡り巡ってわたしたちに責任がある。彼らから奪っているのは、私たちである。
奪う力があるところには、与える力もあって、ベクトルさえ定まればそちらへ変化し、動いていく力もある。
それが民主主義っていう政治体制の恐ろしさであり、正義への推進力なのだと思う。
そして、社会を変えるのは自分たちだってことを忘れることは、自分たちには社会に対して責任があるんだっていうことを忘れることと表裏一体。
こうして先輩の発言をきっかけに、自分がどれだけ人から奪っているのかということを思い出した。
さらには、民主主義体制の本質を見た気がした。
だから、感謝した。
人が変えるから社会が変わるんだよ。
人が変わらないから社会も変わらない。
その人の毎日がもっとずっといいものになるように、 わたしも何かしたいと思った。
PULP FICTION
Maybe it means you're the evil man.
And I'm the righteous man.
And Mr. 9mm here... he's the shepherd protecting my righteous ass in the valley of darkness.
Or it could mean you're the righteous man and I'm the shepherd,
and it's the world that's evil and selfish.
And I'd like that.
But that shit ain't the truth.
The truth is you're the weak.
And I'm the tyranny of evil men.
But I'm tryin', Ringo.
I'm tryin' real hard to be the shepherd."
- Film "Pulp Fiction" (1994)
July 14, 2012
POSTMAN
最近気付いたんだけど。
どんだけわたしが現代人かって、手紙が出せないんですよ。
手紙。
出し方がわかんないの。ほとんど手紙なんか出したことないから。
現代人+筆無精+なまけものな人間だと、手紙の出し方すら知らないで育ってしまうわけです。
そりゃあ、年賀状は出したことあるけど、あれは住所と絵とおめでたいコメント書けば送れるじゃないですか。
つまりは、あれは手紙界の中では超入門。
今わたしが出そうとしてる、書類+国際航空便なんてのは、それなりに難関なんだと思う。
これが小包、段ボール、密輸品みたいになってくるとどんどん難易度は上昇するんだろうなあー、なんて。
手紙が出せない自分にショックを受けた今日です。
そして、着々と渡米の日は近づいている訳なのですが、準備は一向に進まず。
留学先の大学に送らなきゃいけない書類も、手紙が出せない、わかんなーいとか言ってるうちに締め切りがとうにすぎてしまい、どうなるのか怖くて書類の存在に気付かないふりをしている毎日です。(明日出します絶対)
まあ、でもそんなこと言っても、ビザは無事家に届いたし、新しいクレジットカードも作ったし、荷造り手伝わせる友達も確保したし、物理的な準備はなんとかなると思うんだよね。次第に追いつめられてくるし。
問題は心の準備なんですよ。
昨日も木村にまじまじと顔を見ながら「お前ともあと少しでお別れか〜」と言われ、寝ぼけた頭で「あ〜そうなのか〜」とぼんやり思ったくらいでした。
彼は部活の仲間たちに、あと少しで解放されるんだぜ俺は、と言いふらしてはにやにやしてるらしいです、やなやつ。
こないだ岡と吉祥寺駅でお別れをしたときは、なみだなみだのはぐはぐちゅっちゅのお別れだったんだけど、なんかその寂しい気分もバイトばかりの毎日に消耗して、薄れてきちゃったし。
本当にわたし、一年間不在なんでしょうか、、、って感じ。
![]() |
| なみだなみだの岡さん |
向こうではホームシックにはならないと思うんだよね、たぶん。
でも、まあなんだ、寂しいとは思うんだよね。
だからね、基本寂しがりなわたしは、日本やらなんやらあちこちに散り散りになった友達たちに忘れられないように、きちんと作戦を立てているのです。
それこそ、手紙!
週に一回、友達のうち誰か一人に手紙を出すのです。
自分が撮った写真とかをポストカードにしてさ。
それで、すっごい適当なこと書いてさ、「お元気ですか」みたいな、それで勝手にわたしの生存確認をさせるの。
こっちから一方的に。
毎週毎週、誰に届くかお楽しみのこの企画、今から楽しみにしてるんです。勝手に。
だから手紙の出し方のプロになろうと思って、今勉強中です。一応。
現代っ子でも、わざと、意識的に、友達を大事にしようと思ったら、たださびしいよーやら元気かよーやら言葉を交わすのではなく、こういう手段を選ぶあたり、 手紙とかにはきっと強烈な価値があるんだなーと思いますね。
もしくは、その価値を現代っ子だから過信してるかのどちらかだけど。
手紙が出せないわたしだから、妙に期待してるのかもだけど。
とにかく。
みんなに送るよ、手紙。
自分はみんなに入ってるかな、、、なんて野暮なことは心配しなくていいよ。
楽しみに待っててください。
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