February 5, 2013

SOCIAL MEDIA


「ツイッター中毒ですか?」と問われたら、ハイ、と答えるほかない。
「フェイスブック中毒ですか?」と問われたら、ハイ、と答えるほかない。
他にも日常的に使用しているのはタンブラー、フリッカー、グーグルプラス・・・など、なにを隠そう、ワタシもまたソーシャルメディア中毒者のひとりである。

ソーシャルメディアがどうしてここまで中毒的かということは、使ってみたことのないひとにはいまいちわからないかもしれない。だからソーシャルメディア中毒者のわたしが中毒者なりに分析してみると、それは、ソーシャルメディアで行き来しているのは「独りじゃないひとり言」であるということにつきる。

たとえばツイッターに投稿される140字は、言ってしまえばひとり言である。

 「ねむい」
 「お腹すいた」
 「つかれたー」

電車で家に帰っているとき、ひとりでご飯を作っているとき、飲み会でひっそりとトイレに行ったとき、そんな瞬間に、口に出してひとり言を言うのでなく、ツイッターに投稿する。どれだけ非生産的なことをつぶやいても、だれにも非難されることはない。なぜなら、それはアナタのひとり言だからだ。

しかし、ツイッターがソーシャルメディアである以上、吐き出された140字は常に外部へと、他者へと発信されている。自分のことをフォローしている友人のタイムラインへ流れていき、公開設定をパブリックにしていれば、赤の他人に自分のひとり言が検索されて読まれることもある。常に自分のひとり言は「独り」ではないのだ。

誰にも文句を言われる筋合いのないひとり言、しかしだれかがどこかで聞いてくれているひとり言。自分がぽつんとこぼしたため息のようなことばに、だれかが「わたしもー」「おつかれ」とことばを返してくれる。ひとり言が「独り」にならないということは、自分も「独り」ではないということなのだ。こうして作り出される絶妙な距離感が中毒性をの秘密であるのだろう。

たとえ最期のことばがひとり言であっても、ソーシャルメディアへと投げられたことばであれば、それは必ず誰かに届いている。これをステキだと思うか、カナシイと思うか、そこに時代の裂け目を見る。




—朝日新聞2012年度秋採用「ソーシャルメディア」







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