February 18, 2013

I JUST WANT YOU TO BE HAPPY




若者が諦めるづける社会ほど悲しいものはないと思う。

日本に帰りたくないという気持ちが日に日に強くなってるような気がするのだけど、
それはまさに無い物ねだりというもので。
来た当初は日本に帰りたいと思ってても口に出して言えなかった日が多かったような気がするのに、
今ではあと何日しかない、あと何日しかない、と寂しいカウントダウンを繰り返している。

帰りたくないのは、いつまでも時間を引きのばしていたいからだろう。

それでもやっぱり日本に帰りたいかな、とも思うのは、
この国が好きで、愛着もあるけれど、コミットする忠誠心はないからだと思う。
または外国人としての自分を意識しつづけるのに疲れたからかもしれない。
何かしたい、社会を変えたいと思ったとき、
その社会がアメリカ社会であることは、自分の中では今のところはないのだと思う。
大丈夫かな、これからどんな世の中になって行くのかな、と、心配になるのはやはり日本だから。
これはわたしのアイデンティティの問題なのだろうか。
愛国的な人間として左寄りのみなさまに白い目で見られるのだろうか。
手の届くところからはじめたいというだけの思いなのです、と説明したところで、バカにされるだけなのだろうか。

ナウシカ。

ナウシカがまるですべての生き物たちの母親であるかのようになるとき、
彼女はすべての生き物たちの一生に自分が責任を負っていることを自覚しているんだよね。
誰かが生まれ、誰かが死に、誰かが悲しみ、誰かが喜ぶ。
世界の一挙一動に関係している自分を彼女は見てる。
自分の選択が彼らの今を変えることを知ってる。

それが民主主義のあるべき姿だよね。
だれもが政治とか社会の出来事に自分がどこかで加担していることを自覚してる。
だれかが責任をとり、決断をしなきゃいけないのは当然だけど、
だからと言って自分が無関係でいられることはなにもない。
なんかさ、政治学とかやってるとさ、ぜんぶこんな物差しで考えはじめちゃうのがちょっと寂しいけど、
でもそういうことだと思うんだよね、ナウシカって。

だからわたしは脳みその端っこの方にナウシカを住まわせて歩いてる。

安倍さんきらいとか、石破さんこわいとか、色んなこと言っても、
結局彼らの決断が社会を変えるのであれば、それにはわたしも責任があるよね。
誰かのせいにしつづけていれば、誰かがどこかでなんとかしてくれるってのは間違いだよね。
アメリカがどうなってもいいわけじゃないんだよ。
ただ、日本がどうにかなったら嫌だってだけなんだよ。

別にどこだってよかったと思うんだ、結局のところ。
これは選択の結果だと思いたい、とりあえずのところは。
日本の教育がうまくいってるなら、別にそれでもいいや。
帰るところってのは誰にだって必要だよね。

若者が諦めるづける社会ほど悲しいものはないと思う。
いまの日本はそんなところだと思う。
カナシイ。
カナシイ。



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