October 22, 2012

AFTERWORD

共同ブログ、就活の記事のあとがき。

あそこに書いたことは、ボストンでの3日間、ジョージタウンに来てからの2ヶ月間、さらには留学をすることを決断してからの1年強、悩んだり考えたりしてたことへの最終的な決着点のようなものだった。
つまり、本当に話したいこと、書きたいことのほんの一部でしかないということ。
それこそ、氷山の一角。
水面の上に白く突き出た部分。
水面下には、もっと奇妙な複雑な形をしたものが尖って、削れて、残ってる。

たとえばね。
やりたい仕事はわかってるけど、それが自分に向いてる仕事だとは思えないこととか。

わたし、将来ぜったい専業主婦にはなりたくないと思ってる。
ぜったい自分のキャリアを持って、社会でばりばり働きたい、って。
なんでかって言われたら、特にご立派な理由はないんだけど、働くのっておもしろそうって漠然と思って育ったからだと思う。
でも、それと矛盾するように、自分は甘んじて専業主婦になるだけの甘さもあると思う。
あー自分の好きなことを家でできるならいっかー、旦那さんと幸せに生活できるなら、別に仕事なんかする必要ないかー大変だし、って。
家でゆっくりなにもしない時間が好きだったりするので、家事をやる以外、自由な時間が多い印象の専業主婦を魅力的に感じるポテンシャルも、わたしは兼ね備えてる。

それに対して、実際就きたいと思ってる仕事である記者職とかは、仕事としてもう絶対これがいい!って思い続けて長い職業だけど、そのライフスタイルはまるっきり自分には向いてないものだと思う。
なぜって、記者職はものすごい忙しくて、社畜とか言われるエリートキャリアとはまた違う忙しさの、ハードさのある仕事だと思う。
今思ってる以上にはるかにタフな人間にならないと、できない仕事だろうな、と。
そして、それ以上に、本当にそんな生活がしたいの?って思うと、ものすごく疑問であったりもする。
それが自分の限界を見てるようで、いつも苦しい。


何度も言うけど、就職はライフスタイルを選ぶことだと思うんですよ。
どういう生活をこれから5年、10年、20年、と送っていきたいですか、という問い。
わたしは報道・出版・編集・PR・広告、あとは、ちょっと政治機関とかその辺に行きたい訳だけど、それらの仕事にくっついてくるライフスタイルも考慮に入れた上で、仕事選びしなきゃ、って。
そうすると、本当に自分が就きたい仕事ってのはもっとはるかに曖昧になってくる。
でも、やりたい仕事でないと仕事として続かないのも確かなの。
だから困ってる。


そこで、だからわたしは自分がその仕事独特のライフスタイルに合う人間に、今から生まれ変わればいいんだ、って結論になった。これは前から何回も何回もぐるりと回っては帰ってくる結論。
自分が変わればいいんじゃん、って。
わたしはのんびりした人間だから、わたしはめんどくさがりな人間だから、って、自分の性質を所与のもののように受け取って、わたしは考えがちなんだなって。
自分のなりたい人間になるのに、今からでは遅い、ということは決してないでしょう、と、いつも自分に言い聞かせようとしてる。そして、自信が常にそのキーとなるわけなのです。

だから、せっかく一年間の交換留学という形で、時間をもらってるのだから、その間は、やっぱり人間性を熟成させることにした。自分のやりたいことはなんだろう、を考えつづけるのとともに、ある一定のベクトルに向かって、自分の人間性を形作っていく時期だと思った。
それに、ボスキャリはやっぱり自分の視野を広げてくれたと思う。もしかしたら、来年とか一生懸命勉強してるかもしれない。

今わたしに必要なのは、時間の使い方を向上させてシステム化することと、あとは積極性。
攻めの姿勢でぐいぐいいくこと。
そのために必要なのは、自信をつけることと、変なプライドを捨てること。
そっからまずは始める。
今からでは遅いと思いがちだったけど、今からでは遅いなんてことはない、たぶん。

こうやって、就活することにした。
面接対策とか、ES書き方講座とかは、とりあえず帰国するまでは、来年の夏前まではまだ目を通すくらいで別にいいや、って。
そういう建設の方法ではなくて、内側から組み立てることにする。
これは、全く持って現実逃避じゃないし、たぶんわたしにとっては一番苦しい形の修行になるんじゃないかな、って思ってる。たぶん。わかんないけど。

以上でした。
これでもまだ水面下の上の方だけ、まだ日の光があたるところまで。
それより深いところの葛藤は、自分にも見えてないんじゃないかと思う。
文章にできないというか。

がんばる。なりたい人間になる。



October 12, 2012

QUIĒS

記録。

今日のお昼ご飯は、たらこパスタ。
日本から持ってきたたらこソースを使っての、たらこパスタ。
持ってきた分がもうすぐなくなりそうだと思ってた所に、お母さんがまた何個か送ってくれた。感謝。
そしてついこないだ我が家にはざるがあるということに気がついたので、ちゃんとパスタの水を切れるようになった。
それまではフォークを使ってがんばるものの、あんまりうまくいってなかったから、うれしい。

今朝は、授業をさぼった。ジャーナリズムの授業。
Journalism is about showing up and showing up on timeと言って、遅刻にも厳しい先生。
ジョージタウンでの一番のお気に入りの授業。
なのに行かなかった。なぜ。
昨日夜更かしして、Meet Joe Blackを見てたせいもあると思う。
あの映画はブラッド・ピットのかわいい少年セクシーっぷりを楽しむ映画であって、それ以外は特にいいと思わなかった。
ヒロインはでっかい目をうるうるさせてるだけだったし、ハンニバルのおじさんもいい人なだけだった。
つまんない。

昨日はアメリカ副大統領候補の公開討論だった。
ジョー・バイデンが白い歯を見せて、ポール・ライアンの言ったことすべてを笑い飛ばすっていうだけの1時間半だった。
バイデンがあまりに可笑しそうに笑うので、酔ってんのかなあーとか思ったけど、同時にライアンはただの若造の阿呆に見えた。
プラトンじゃないけど、ディベートって本当に真実とは全く関係ない所で行われるんだなと思った。
真実がなんだってことは半分くらいしか意味がなくて、残りは真実らしき物をどれだけ真実らしく伝えられるか、あとはどれだけ白い歯をきれいに保てるかっていうそれくらいのもんなのだと。
それにしても、アメリカの政治はエンターテイメント性が強い。
本当に見てておもしろい。

どきどき、わくわくすることに欠けている気がするのはどうしてだろう。
日常の惰性を打ち破りたい。
惰性で一年を消費したくない。
そうやって、あちこちに連絡をとるけど、どこもいまいち手応えがない。
それか、そのがっかりが鬱々と沈んだ気持ちにさせてるのか。
なんか、口を開けたくない、ひととしゃべりたくない、そんな静けさ。
そして自分の静寂を、自分で破れないっていう。
今日この後ディスカッションの授業なんか絶対行きたくない。
けど行かなきゃ。行かなきゃ・・・・・・・

時々襲われるこの静けさはなんなんでしょう。
心電図のあのつーーーーーーーーーーーーーーーーーって音みたい。
静か。静か。







October 8, 2012

BLOND



やわらかく、淡く見えた光は、音を立てるようにフィルムを燃やしたのであろう。


下手な旅行記を書くよりも、
セントラルパークの昼下がりより。



FAHRENHEIT 451



"The books have nothing to say."




-Film "Farenheit 451" (1966)




COLD


今日はとっても寒かった。
昼間はあたたかいのに、夜になると急に冷え込むっていう妙な天気がしばらく続いてたんだけど、今日は昼間からずっと寒かった。たぶん。部屋にいたからあまりよくわからなかったけど、すごくねむかったから、たぶんすごく寒かったのだと思う。夜になって外に出てみたら、やっぱりとても寒かった。
昼間はげろ吐きまくったり、ぼろぼろのくじゃくを階段から投げたり、真っ白いもこもこのにわとりたちにマンションを占領されたりする夢見た。悪い夢ってわけじゃないの。でも強烈な夢だったから、起きれなかった。夢の中身によって起きれないことってある?わたしはよくあるの。今日の夢はまだ起きれる方の夢だったけど、今日は起きれなかった。

来週は中間テスト。

高志が風邪を引いたらしい。39度近い熱が出て、蓄膿症の症状も出たらしい。らしい。らしい。13時間も時差があると、「らしい」の連続になる、らしい。

一年生のときか二年生のときか忘れたけど、高志が初めて蓄膿症になったとき、そのときはもちろん時差は一時間もなかったのだけど、それでも「らしい」が三つくらい重なって、すごく遠くてなにもできなかったのを思い出した。その割には、わたしの大事な恩人が亡くなって(しかもその朝わたしは大学入学したてで初めてはめ外しかけて、酔っぱらってた朝だった)、わたしは本当に無能で、これでもかってくらい無力だ、って沈み込んでいたとき、そのことについて誰にも話さなかったのに、(だから「らしい」でつながるはずもなかったのに)なぜか、偶然、その日のうちに電話をくれたのだった、ということも思い出した。それまでずっと話してなかったのに。

こういう偶然の繰り返しのせいで、色んなことを勘違いしてしまったのだと思う。
偶然性を信じるのをやめたのも、遥か昔のこと。

ねむるとまた変な夢を見ると思う。毎晩、毎晩、夢を見る。本当に。毎晩。でもいくら変でも夢はきらいじゃない。後味の悪い夢を見ることも多いけど、それでもきらいじゃない。夢がすごくきらいなときもあった、むかし。毎晩、毎晩、夢を見て、このまま現実と夢の境目が分からなくなって、気が狂ってしまうんじゃないかと思ってた。変なのは、そのときはすごくいい夢ばかりをみていたこと。毎日、本当に起きれなかったこと。

こんな風に起きてはねむって、起きてはねむって、くるくる、くるくる、地球は回って、このまま、この心のまま、一生を過ごすことになったらどうしようって本当にこわいときもある。夢を見られなかったときの、目が覚めるときの気持ちを思い出す。だからね、野菜を食べて、水分摂って、暖かくしてねむってほしい。なんでこんなに悲しいんだろう、そんなことばかり考えて、そうやって自分のしあわせを思い出して、それから、わたしもようやく寝るの。だから、寝て、おやすみなさい。