January 30, 2013

WATERGATE





「大義があるっていうのは救いなんだよ。」



これはインターン先の支局長のことば。
かれこれ10年以上報道記者として働いてきた支局長は、大学では社会心理学を学んでたんだって。その大学生活を通して学んだのは「人間は単純な生き物なんだ」ってこと。

例えば映画「es」にもなった囚人と看守の実験。
囚人と看守の役割を振り分けられた被験者たちが何週間か刑務所でその役割に則って生活していると、いつしかみんな自分の役割に従った行動をするようになってしまうってやつ。囚人役の人と看守役の人との間に本来力関係は一切ない、というかむしろそれまでお互いのことなんも知らない上に、全く罪も犯していなければ、ぜんぜん関係ない仕事とかしてるひとたちなのに、その役割を担わされてその環境に放り込まれると、その役割を果たしてしまうっていう実験。

例えば電気ショックの実験。その名もミルグラム実験
これはまず教師役の被験者と生徒役のサクラを用意して、教師に生徒に問題を出すように指示する。で、生徒が答えを間違えるたびに教師は生徒に電気ショックを与えるように指示して、さらに、間違えるたびにその電気ショックのボルトをどんどんあげさせるっていうもの。実際生徒役はサクラだから本当に電気ショックを受けてる訳じゃないんだけど、ボルト数が上がっていくごとにどんどん苦痛が増していく演技をする。
75ボルトでは不快感をつぶやいて、120ボルトでは大声で苦痛を訴えて、150ボルトでは絶叫して、270ボルトでは苦悶の金切り声をあげて、300ボルトでは実験中止を求めて叫びまくって、350ボルトでは無反応になる。

実験の結果、60%以上の人が用意されていた最大の450ボルトまで上げてしまったんだって。つまり、生徒役のひとが自分が電気ショックを与えたせいで死んでしまったかもしれないということを自覚していても、「自分は与えられた役割をこなしているだけだ」「自分に責任は無い」と考えて人間は役割を全うしてしまうんだということ。

この実験はナチス政権時代にユダヤ人を強制収容所に輸送する責任者だったアドルフ・アイヒマンの名前をとってアイヒマンテストとも呼ばれているんだって。
アイヒマンはじめ多くの戦争犯罪を実行したナチス戦犯たちは、そもそも特殊な人物であったのか?それとも、家族の誕生日に花束を贈るような平凡な愛情を持つ普通の市民であっても、一定の条件下では、誰でもあのような残虐行為を犯すものなのか?」

答えはどうやら、わたしでもあなたでもアイヒマンの境遇にあったら、大量のユダヤ人を死に送り込んでいたかもしれないということらしい。

「だからね、人間は単純な生き物なんだよ。与えられた役割とか生活してる環境によって、行動を大きく左右されてしまう。現代だってそうでしょ、どっかの会社で働いてたりしててさ、お客が損するってことがわかってても、その商品を売り込むのが自分の仕事だから、自分は会社の命令に従ってるだけだからって、商品を売りつけたりする訳じゃん。人間は与えられた役割に弱いんだよ。」

「だからさ、どんなところに就職して、どんな役割を与えられるかっていうのは大事なんだよね。その役割を与えられた結果、自分の行動が規定されてしまうんだから。だから就活もバカにならないんだよ(笑)自分の今後何十年の人格をそこで決定されてしまう可能性だってあるわけだからね。」



入社してからずっと報道をやってる支局長は、報道は特権的な職種だと思うという。
たとえばバラエティなんかは視聴率がとれなかったら、価値はゼロになってしまう。

報道はそうではない。
報道には視聴率をとらなければならないっていうプレッシャー、言い換えれば会社から与えられた「役割」を超える「大義」がある、と。世の中にニュースを伝えるという大義があることによって、その厳しいプレッシャーから逃れられている、と。

「世の中そんなに甘くないからね、大義がどうのこうのとか言ってられるのはごく一部の人間だけだよ。」

メディアが大義を果たすことを目的とした純潔無垢な正義感にかられた職であるとは思えないけど、でもやっぱり自分が記者に憧れて、将来記者になりたいと思ってた理由を確信に変えてもらったような気がする。




大義とか言えちゃう仕事とか、やっぱりかっこいいじゃんね。





最後に、写真はウォーターゲート事件の立役者であるウッドワードとバーンスタイン。
記者の大義とか考えてると自然と思い浮かぶのがこのふたり。ニクソンの不正を暴いて、辞職にまで追い込んだ敏腕記者。そのウッドワードの直属アシスタントだった人にジャーナリズムを教わってるわたしはほんとラッキー。。。

早く戦える人間になりたいと思った。



January 14, 2013

GUN CONTROL


2012年12月14日。
コネチカット州サンデフィック小学校にて銃乱射事件が起きた。
同小学校に通う児童20人を含む26人が亡くなり、事件の犯人であるアダム・ランザもほどなく現場で自殺した。今日で事件発生から一ヶ月を迎える。
(事件当日の詳細なタイムラインはこちらで)

事件直後の保護者へのインタビュー

まだ幼い子供たちが20人。彼らを守ろうとした教職員たちが6人。
彼らの死を前にして、アメリカ中の人々が怒りを爆発させた。
オバマ政権は、長年論争が繰り広げられてきたものの、大きな変革を起こすことは非常に困難とされてきた銃規制問題とどう向き合うのかを問われている。

銃の所持が違法とされている日本で生まれ育った身からすると、これほど凄惨な事件が起きたにも関わらず、どうして政党間で合意できないだけでなく、国民の過半数のサポートを得ることもできないのかがいまいちピンと来ないんだよね。銃さえなければこんな事件は起きなかったじゃん!と言いたくなるのだけど、アメリカではそうもいかないのです。


①憲法修正第二条・権利章典
まず一番の問題は、銃を持つ権利は、アメリカの憲法修正第二条にて「武装権 ("The Right to Keep and Bear Arms")」という名の下ばっちり明記されていること。
この修正第二条は1791年に信教・言論の自由、残虐な刑罰の禁止などを明記した他9条とともに権利章典の一部として憲法に追加されたものでした。つまり、人民が銃を持ち武装する権利は、基本的人権の一部として憲法に守られてきたということ。
だから銃規制を強化しようとすることは現段階では憲法違反になりかねないし、本格的な改革を行うためには憲法改正にまで踏み切らなきゃいけないかもしれないのです。



②世論
そしてこの憲法のもと銃をもって生活してきた人たちは、この事件を前にしても銃の所持を禁止するような改革には断固反対。Pew Research Center for the People and the Pressが行った世論調査によると、銃規制賛成派と反対派で世論はまっぷたつ。


今回の事件が起きた原因についても、殺人犯が銃を持つからいけないのであって、一般的に銃を所持することを禁止することは憲法違反だという主張をする人がたくさん。銃が人を殺すのではなく、人が人を殺すのだという論理。
さらには、学校の警備員や教師たちが銃を所持してさえいれば、殺人犯が児童たちを殺し始める前に殺人犯をやっつけることができたのになどと主張する人たちも。つまりは、教師たちも武装すれば、無惨に殺されるのではなく抵抗できたはずだと言う議論。学校を文字通り戦場にしたいのかと思わざるを得ないけど、これも多数の人にサポートされたかなり有力な主張なのです。


NRA: 全米ライフ
全米ライフル協会(wiki)はその名の通り、銃大好き人間たちの愛好会・・・という名の圧力団体。さきほどあげた「銃が人を殺すのではなく・・・」というのはまさしくこちらNRAのスローガン。全米で400万人の会員を持ち、共和党にたっくさん政治支援金を出してる巨大な団体。もちろん銃規制には反対。
だから、それこそ警備員を武装させろとか、事件をビデオゲーム業界のせいにして「暴力の種を蒔く退廃した闇の業界」と呼んでおきながら(link)、自分たちもシューティングゲームを発表するとか(link)やりたい放題。共和党に大量にお金を出してる限り、彼らの機嫌を損ねるような政策は議会を通るのは難しいといえるのではないか。


④精神医療・保険制度
ここからがさらにややこしくなるところ。
事件後、現場で自殺した犯人のアダム・ランザの精神状態が議論の焦点に。彼は過去にアスペルガーとして診断された経歴があり、精神的に不安定な状態に陥ることが多々あったという証言がなされた。
これが報道されることによって、アスペルガーや自閉症に対する間違った理解が広まることが恐れられ、自閉症障がい者の権利を主張する団体などが、自閉症やアスペルガーは精神病ではないと強調する運動を始めた。それでも、彼らに対する反発は広がりつつある。

また、事件の焦点は銃の所持だけでなく、アメリカの精神医療や障がい者医療にあるのではないかということも公に議論されるようになった。その中でも"I am Adam Lanza's Mother"というタイトルの記事が注目を集めた。その記事では、筆者が自身のADHDまたはアスペルガーの疑いのある息子について書いていて、読んでるだけで胸が苦しくなってくる。13歳の息子がナイフを取り出して筆者を殺し、その後自分も自殺すると迫った日のこと。その同じ息子が、薬を飲んで落ち着いてるときは、かわいらしい、ひとりの少年に過ぎないこと。彼がもっと成長して体も大きくなり、自分の手には負えなくなったとき、果たして彼はアダム・ランザと同じような道を歩んでしまうのかと考えると眠れなくなること。彼女の文章はひとりの母親の悲痛な叫びである。

結果として、精神的に不安定な傾向を見せている人物には銃を販売しないという形で規制を行えばいいのではないかという議論もされているが、アダム・ランザの場合、彼が使った銃は彼自身ではなく彼の母親(事件当日、ランザが学校に襲撃に行く前に自宅で銃殺)のものだったため、これが完全な予防策になるとは言いがたい。



以上の問題の他に、さらには州ごとの規制とそれにどれだけ連邦政府が干渉することが許されるべきか、というアメリカおなじみの問題もあれば、事件そのものがオバマ政権による銃規制の議論を起こすための陰謀だったのではないかなんて言い始める人もいて、ややこしい。アメリカ、そこまでして銃を持っていたいのか、と。

解決すべき問題は山ほどあるけど、ひとつ思うのは、暴力を阻止するためにはそれ以上に強い暴力を持たざるを得ないという考え方自体が幻想なのではないかということ。それにいつまで経ったら気付けるのか。何人の人が亡くなったら気付けるのか。


21世紀アメリカ、国外でも国内でも、戦争をするのをやめる日はいつ来るのか。


銃規制問題について長年取り組んできた副大統領ジョー・バイデンによる大統領への正式な提言が明日行われる予定。オバマ大統領はありとあらゆる問題に対して反対姿勢しか見せてこなかった共和党に対してかなり強固な態度で接している今日この頃。
銃規制問題についても反対を押し切って、抜本的改革を行えるか、期待したいところ。













January 10, 2013

RESOLUTIONS


Akemashite omedeto!
Man, 2013 just doesn't sound right.

But I'm pretty impressed by the fact that we got through 2012 and past the horrific apocalypse prediction by our ancient Mayan friends. 
I guess the next big question will be what comes next? What is to become of the world of post-apocalypse?
Are we going to start another count down to the next possible end of the world?
Is this going to be people longing for the next time they can let go and have fun under the excuse of having little time left on Earth? 
Our world praises development to the point Steve Jobs is divine. But it seems that all we want to do is just step backwards into the warm arms of chaotic nothingness where it all began. Then it will be "There shall be light" all over again. 

Although it is cool if the world, after all these false predictions, finally ended during our lifetime, I plan to live because I have tons of resolutions. 
Tons and tons. 
And writing a blog once everyday is one of them. This is why I am blabbering on about these nonsense for the first time in maybe three months? I do plan to be productive next time but this time it's just me, talking about nothing.

My second resolution is, as always, "mendokusagaranai".
People chuckle when they hear this; those people don't realize how very difficult but important this resolution is. I know I would be as twice as productive and efficient if I wasn't held down by this little tiny notion that just pops in my head every time I remember something I have to do.
I would meet so many people. I would get so many readings done. 
Mendokusagaranai. It's so difficult I have it in my resolutions every single year since I entered uni.

Third one: "bibiranai".
This one's new. Just don't freak out. Talk to people. Take more risks. Be confident about yourself with no reason to support you. Just be. Don't be a chicken. 

Fourth one: "be deliberately impolite".
In Japanese standards I'm sure I'm not the most polite person in the world. My mom doesn't even trust me behaving properly in front of other people. But in American standards, I'm very Japanese and I'm very polite --to the extent that it doesn't even make sense.
Being polite always helps --NOT. Being polite keeps you from stepping in to other people's comfort zone before they step into yours. It keeps you from something you could've had if you didn't hesitate thinking whether it would be offensive in any possible way. Being polite doesn't get you far if you ever want to become a journalist.
So be impolite, but deliberately and carefully. There are lines you shouldn't cross.

I keep coming up with these new resolutions everyday. Or are they more like wishes rather than goals?
But the number of resolutions only reflect the high hopes I have for 2013. This is the time I have to game it up and make decisions and take things to my own hands. 

Career.
Education.
Family.
Relationships.


All I know now is that I want it all. 2013, come at me.