この前のおとなと子供の話。
ピーターパンがいつ剣を振り回すのをやめて、空も飛べなくなるのかって話。
そのつづき。
留学出発の前々日に、大学の友人たちに送別パーティーを開いてもらった夜の帰り道、それぞれがそれぞれの家に帰るために次々と去っていったとき、何回もハグしたり、手を振ったり、また来年!と言ったりした訳だけど、一番最後に武蔵境の駅でひとりになったとき、自分がなににお別れをしているのかよくわからなくなった。本当に一年ばかり会えなくなるだけのお別れなのか、これは...?と疑問に思わずにはいられなかった。
一年なんてあっという間だよ!ってみんなは言うけど、一年後にわたしが帰ってきたとき、みんなはまだこのままでここにいるの?って。
わたしが来年の5月か6月に日本に帰ってくる頃には、その日その場にいた10人ちょっとの内、おそらく半分近くは就職先が決まり、卒業に必要な単位も取り終え、サークルや部活からも引退してる。未だに身分としては学生でありながらも、社会人になるまでに許された最後のモラトリアムの時間を毎日毎日食いつぶして、すでに余韻となってしまった学生生活のなかを行き来してる自分たちが目に浮かぶ。
わたしがお別れしてるのは、日本での学生生活そのものではないのか。
帰ってくる頃には、もうとっくにみんなおとなになってるんじゃないの。
そんな予感がして、色んなものを振り切るように、胸の前で腕を組んで、歩幅を大きく、ぐいぐいと前に進んだ。早く、早く。強く。
武蔵境で泣きながら歩いたのは、これで何回目のことだろう。
何回も言うけど、いつまでも子供でいたいわけじゃなくてね、おとなになるならなったで、すっきり大人になりたいって思ってたんだけど、いざ、もうその時が限りなく近いと思ったら、やっぱり寂しくて、この先に何が待ってるのか全く検討がつかないときに感じる、曲がり角への不安と新しい生活への清々しさとで、ぐちゃぐちゃになった。
それでもやっぱり、誇らしかった。ごめんね、ティンク、ピーターパン。
出国当日は、本当に慌ただしかった。
飛行機が出るのが夜9時だったのをいいことに、パッキングは(当然のごとく)当日のお昼まで終わらず、色々買い足すために家を出る30分前にスーパーへ走り、渋滞に巻き込まれて日暮里から乗るつもりだったスカイライナーにも遅れそうになった。かなり高度な内容の授業についてかなきゃいけないのに全然勉強してないし、ニュースも読んでないし、英語の準備もしてないし、税関もちゃんと通れるかわかんないし、不安で急に手先が冷たくなった。
それでも日暮里まではお母さんと弟が車で、出国ゲートまではキムラが、税関の向こう側へはこうじが来てくれた。
なんか、センチメンタルになって損した。
まだまだ寂しくなんかなれない、なんとも幸せ者なわたしでした。
では、行ってきます。

